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一章 鐵/くろがね

  1. 2013/06/02(日) 15:17:28|
  2. 頂き物|
  3. コメント:3

 トロイメライが鳴り響く中、正面玄関から吐き出された中学生達が、ぞろぞろと乱れた列を成して校門に向かって来る。
 下校のチャイムはアレなのかと、正門前に立つ少年は校舎を睨みながら考えた。
 古き良き時代のデザインを踏襲した、オーソドックスな凸型校舎。
 内側に階段を忍ばせ、天辺で一段高くなった部分には真ん丸大時計。
 没個性なクリーム色で統一された全体。並んだ窓の手前にはベランダ。
 陽光で光る、櫛の歯を思わせる手すりがついたベランダには横長の幕が渡されており、「祝!全国出場………」とデカデカ書かれた文字と共に、風で踊っている。
 そんな何とも教科書通りの姿をした校舎を、眼光鋭く睨む少年の顔には、濃密な敵意。
 文句のつけようもない…というより、ハナからいちゃもんを付けるつもりでもなければ気の利いた悪口も思い浮かばないような校舎が、それでも憎々しく見えてしまうのは…、
(立子館…。ここにあの野郎が…)
 在校生のひとりに対する敵対心のなせるわざである。
 一際強く吹いた風にバタタッと幕がはためき、そこに記された文字が踊ると、少年の顔はさらに険しくなった。
 記されているのはこうである。『祝!全国出場 相撲部羊山君』。
(…あの野郎が、この学校にっ…!)
 余所行き用のオシャレ黒ジャージを着込み、肩からスポーツバッグを吊るした少年は、きつく拳を握りしめ、猛々しく顔を歪め、ギリリと牙を噛み鳴らした。





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 体格の良い少年である。上背もそれなりで肩幅もあり、体躯そのものが分厚く、頑強で重量感がある。
 万人が勇猛な印象を受ける顔つきをしており、断耳によって形を整えられた耳と、同じく断尾で短くなった尻尾はキリッと立っていた。
 身を覆う被毛は深い黒とオレンジに近い濃い茶色のツートンカラー。手足や喉、顎下や胴体腹側を染める茶は赤味も鮮やかで、外側を覆う黒い被毛の色艶は頑強な黒鉄を思わせ、体格と相まって威圧感がある。
 少年の名は賀屋タケル。ドーベルマンである。…が、時々「何種?」と訊かれたりもする。体型のせいで。
 種の持ち味に逆らうように、ひたすら重く強く頑丈に鍛えた筋肉を搭載した骨太の体は、ぽってり脂がのった太り肉。腰も臀部も太腿もムチッと太く、重心が低くやたら安定して見えた。
 ステレオタイプのドーベルマンイメージからかけ離れた外見の彼は、中学の相撲部に在籍する学生相撲取り。しかも、先だって全国の土俵に上がった実績から言えば、強者中の強者と言える。
 その彼が、せっかくの休みである母校の創立記念日を潰し、県境を越え、遥々この中学まで出向いたのは、他でもない、その全国の土俵での出来事が原因だった。
 下校のチャイムと、口々に騒ぎながら帰ってゆく生徒達の声に耳をピクつかせながら、敵意どころか殺気漲る眼光を飛ばし、目当ての相手を探すタケル。
 そして程なく、その少年は見つかった。
 探し出すのにさほど苦労はしなかった。群れる学生達の中でも少々目を引くナリなので。
 ずんぐり丸っこいシルエットに、幼さと愛嬌が滲む顔立ち。全身を覆うむっくりした被毛は柔らかな薄茶色と暖かな白。前をしっかり締めて着込んだ学生服が、ムチムチとやけにキツそうに見えた。
 生徒達の流れの中、タケルの方へ徐々に近付いてくるその少年は、ぼってり肥えたウェルシュ・コーギー・ペンブローク。
 タケルの目がギラリと光る。
 土俵上で見た顔付きや、記憶に焼き付いたマワシ姿と比べれば印象が大きく異なっているものの、そのコーギーこそが全国の土俵で彼に苦汁を舐めさせた相手、羊山リョウヘイだった。
 校門前に陣取り殺気立っているドーベルマンに気付き、一部の生徒が彼を迂回して行くが、コーギーは並んで歩く猫…青灰色のなめらかな被毛が美しい、少し背が低いアビシニアンと談笑しており、タケルに全く目を向けない。
「…でねー、言ってやったんだよ僕。それワカメじゃないから。タラだからって」
 身振り手振りを交えて弾む声で喋りながらニコニコしているコーギー。応じるアビシニアンが笑い声を上げる。
「はっはっはっ!困った天然さんだな我らが部長は。カツオと間違えるならまだ判るのだが…」
「でしょー?おかしーよね絶対!」
 話している内容は全くもって不明だが、とにかく和気藹々としているコーギーとアビシニアン。
 話に夢中で、こちらに目も向けないまま歩み寄って来るコーギーを憎々しげに睨み付け、タケルはその太い人差し指を真っ直ぐ伸ばし、鼻面に皺を寄せて口を開いた。
「おい!おま…」
「あとね…、あ、イクラの話ってしたっけ?」
「いや、まだ聞いていないな」
「イクラも間違えてたよ。サザエ系だと思ってたみたいで…」
 びしっと突き付けた…はずだったタケルの太い人差し指。その50センチ先を、コーギーとアビシニアンが談笑したまま通過する。視線すら向けずに…。
 華麗なスルー。ポカンと口をあけたまま目が点になるタケル。
 ハッと我に返り、慌てて「お、おい!」と声を重ねたドーベルマンだが…、
「言ってやれ、ノリスの手の者だと」
「うん言っとく。そうだ、ノリスさんって言えばガトリングシールドが…」
 壮絶なスルー。全く気付いて貰えないタケルと、指差したまま下ろすに下ろせない人差し指をそのままに、二人はゆっくり遠ざかって行く。

 焦るドーベルマン。これは予定と大幅に異なる。
 イメージトレーニングでは、指を突き付けた所でコーギーがすぐさま気付き、「き、貴様は!?」と顔色を変えながらノリのいいリアクションをしてくれたのだが…、実際にはノリがいいどころかノリスがうんぬんの話に夢中で気付いてもくれない。現実はいつだって甘くない物である。
 母艦だのタイだの言いながらテクテク歩いて行く二名の後を慌てて追うタケル。この展開は予想していなかったのですっかりテンパっており、殺気は霧散し、先程まで厳めしかった顔は一転して引き攣っている。
 ついでに言うと、周囲の生徒が向けて来る奇異の視線がチクチク痛い…。
 最初こそただならない気配に警戒していた生徒達は、間の抜けた顔で狼狽するドーベルマンが、見境なく噛み付く輩ではないと直感的に察し、怖がるどころか興味を抱いて眺め始めている。
 本命だけは、相変わらず気付いていないが…。
「吾輩が思うにアナゴが…」
「ぶるぁ」
「そうそう。そしてイササカがいささか…」
 話に夢中な二人の後ろをついて行きながら、初弾を見事に外して何と声をかけるべきか判らなくなり、おろおろするタケル。
 やがて、進退窮まったドーベルマンは「おほん!うぉっほん!」と、口元に拳を当ててわざとらしく咳き込んでアピール。これなら「おい!」の空振りよりは恥ずかしくないだろうとちょっと考えての事。
 そんなやや引け腰なアピールで、ようやく二人が振り返った。
 やっとかよ!と苛立つも、気付いて貰えてちょっと嬉しいタケルの尻でピコンと短い尾が立った。なかなか複雑な男心である。
 肥ったドーベルマンの顔を映したコーギーの目が少し大きくなり、そして細まる。
 その様子で自分が誰なのか理解したと察したタケルは、夕べ散々発声練習した大事なセリフを、可能な限り低く抑えた声で口にした。
「全国じゃ世話になったな…」
 少し細まっていたリョウヘイの目で、さらに瞼がすぅっと半分降りる。
 どんな返しの言葉が来るかと、イメトレを参考にしつつ心の中で構えたタケルは、
「どちらさん?」
 にっこり微笑んで小首を傾げたリョウヘイの前で、カクンと下あごを落とした。
「え?いや…、おま…、え?」
 想定外のリアクションで混乱するタケル。とことんアドリブがきかない男である。
「忘れたのかリョウ?彼はこの間…」
 アビシニアンが口を開いたが、その言葉は途中で途切れる。リョウヘイにちらりと目配せされて、彼の意図を悟ったので。
 本当は、リョウヘイも判っていた。全国の土俵で立ち合ったタケルの事を覚えていた。しっかり覚えている上で忘れたふりをして…、要するにおちょくっているのである。
 そんなコーギーの真意に気付けないドーベルマンは、アビシニアンは自分を覚えているらしいと察し、助け舟に飛びつく気分でそちらを見遣り…、
「隣のクラスのマミさんに手酷くふられたドーベルマンではないか」
 気を取り直したアビシニアンにまで知らない誰かと間違われたふりをされ、唖然とした。
「ああ、そうだったっけ?で、ふられた君が何の用?彼女を紹介しろとか言われても困るんだけど…」
「違うっ!ってかお前っ!マネージャーっ!知ってたろっ!?知ってたって顔してたろ今っ!?」
 二人のコンビネーションで見事に神経を逆撫でされ、声を荒らげるタケル。何から何まで予定と違うので、動揺気味にキレ気味である。
「うるさいなぁ…」
 迷惑千万だと表情で語るコーギー。
「何の用だ?どこの馬の骨とも知れない君」
 神経の逆撫でを続けるアビシニアン。
 このふたり、揃ってなかなかの役者である。
「だからっ!俺はっ!この間の全国で…!」
「あ〜、全国?全国がどうかした?…あ!」
 何かに気付いたようにポンと手を打ち、またニコニコし始めるリョウヘイ。
「試合見てくれてたの!?もしかして僕のファン!?」
「ち、ちがぁあああああああああああああうっ!!!」
 こめかみをヒクつかせながら叫ぶタケル。
「試合しただろ!俺と!」
「そうだっけ?居たっけ?君みたいなの?」
 まるっきり興味が無さそうに、どうでも良いといった様子で浅く首を傾げるリョウヘイ。
「居ただろ!?覚えてんだろ本当は!?って聞けよ!真面目に聞けよ俺の話!こっち見ろ!」
 猛るタケル。それも当然で、コーギーとアビシニアンはもはやドーベルマンを見ておらず、帰って行くクラスメートとにこやかに手を振りあっている。
 タケルからすれば、節々で適度に自分をないがしろにする二人の態度がいちいち神経にさわる。
「どんな勝負だったかなぁ?ま〜ったく印象に残ってないんだけどぉ〜?」
「我輩も、ちぃ〜っとも覚えていないな。エア参加か?妄想も程ほどにな」
「嘘だろお前ら!嘘ついてんだろ!覚えてんだろほんとは!」
 タケルは唾を飛ばして怒鳴るが、二人はどこ吹く風。
「だって記憶にないし〜。どんな試合だったの?ん?僕どうやって勝ったんだっけ?」
(こ、この野郎っ!)
 タケルはようやく気付いた。リョウヘイが何を考え、自分に何を言わせたいのか…。
 項垂れ、拳を握り締め、ギリギリと歯を食い縛ったドーベルマンの口から、「…寄り切り…!」と、押し殺した声が漏れた。
 それを聞き、待ってましたとばかりに片手を耳に当て、ぐっと身を乗り出すコーギーとアビシニアン。二人とも口元がニヤニヤ緩んでいる。
「え〜?何〜?聞こえな〜い」
「男なら、言いたい事ははっきり言うべきだな」
 いや、むしろ言いたくない事なのであるタケル的には。
 グヌヌっと顔を歪ませたドーベルマンは、開き直りの心境で怒鳴る。
「お…!おお…!お前にっ…!お前に寄り切られたんだよっ!」
 恥辱でわなわな震えているタケルの怒鳴り声を聞いたリョウヘイは、「ああ!」とわざとらしい声を上げ、胸の前でぽってりした手をパンと打ち合わせた。
「そうだそうだ!思い出した!君、僕にがぶり寄られて土俵際でダラッダラ色んな汁撒き散らして「ウワテ…!ウワテマワシ…!」とかうわ言みたいに言ってたドーベルマン君かぁ!」
 グッサリ深々タケルの胸に突き刺さる、息継ぎ無しひと繋がりの言葉。
「そうかそうか!ちょっと粘った挙句に結局はいいトコこれっぽっちも見せずにだらしな〜くなさけな〜く半泣きでゼェヒュウ言いながら土俵を割ったあのドーベルマン君かぁ!」
 タケルの胸をかき回す、第二波のノーブレスワンピースマウスアタック。
 いや泣いてない!絶対泣いてないぞ!誇張するな!と言い返そうとしたタケルだが、
「確か…、タケラッチョ・チョチョリゲス・アッ=ドゥーサリー君だったっけ?」
「いや、ムティサマカーラ・イヤイヤパパイヤン加藤という名前だったはず…」
「何人だそれ!?俺は賀屋タケルだ!」
 反論する前にコーギーとアビシニアンが口にした妙な名前を、たまらず力いっぱい叫んで否定し、名を名乗る。
 出会い頭からここまで、全くペースを握らせて貰えない。
 散々繰り返したイメトレの中ではこうはならなかった。チリチリした空気の中で「お前は!全国の土俵であわや僕を負かしそうになった…、優勝していても不思議じゃなかった賀屋タケル…!」などと言われ、フンと鼻で不敵に笑い、動揺しているコーギーに指を突きつけ、堂々と再戦要求をする…はずだった。
 なのに現実はこうである。ペースを握るどころか完全におちょくられ、良いようにもてあそばれている。
「じゃあ、仮称エマチョコスキータケル君で」
「何が「じゃあ」だ!何の仮称だ!賀屋タケルだって言ってんだろが!」
 良い事をしてあげた的笑顔を浮かべながら要らない仮称をつけようとするリョウヘイに、稽古時以上の大声で怒鳴るタケルだが、相手はまったく怯まない。
 これではいけない、と遅まきながら気付いたタケルは、ビシッとコーギーに指を突きつけた。
「あの試合はたまたまああなっただけだ!俺が勝ってた試合なんだ!もう負けねえ!もう一回勝負しろ!」
 ここで、コーギーはきょとんとした顔でアビシニアンを見遣る。
「ごめん、このひと何言ってんの?通訳してくんない?」
「「全国の土俵、公衆の面前で、誰が見ても明らかな圧倒的敗北を喫したワタクシではありますが、厚顔無恥にもこうしておめおめと再戦のお願いにあがりました。恥をさらすこの姿を哀れと思われるならば、どうかもう一番勝負して頂けませんでしょうか?」…だとさ」
「うぉいっ!言ってねえだろそんな事っ!」
 ずいっと身を乗り出して肩を掴もうとしたタケルの前からすっと逃れ、コーギーの後ろにするりと回り込んで隠れたアビシニアンは、友人の肩からひょこっと顔を覗かせて言う。
「何か勘違いしているようだな、ヒババンゴタケル君」
「賀屋タケルだ!」
「敗者が勝者に再戦を挑むなら…」
 抗議を無視したアビシニアンがちっちっちっと顔の横で指を振り、コーギーが先ほどまでとは打って変わって、ニタァ〜ッと陰湿な笑みを浮かべながら口を開く。
「「もう一回勝負して下さいお願いします」…じゃないの?」
「…!」
 タケルの表情が変わる。
 のらりくらりとしていたリョウヘイがようやく見せたその挑発的な表情は、あの試合の前後で彼が垣間見せた顔その物だった。
 胸の奥がジリジリッと、闘志と屈辱で焦げる。
 汚名をそそぐ機会は目の前。ならばもう、どんな恥辱も大した障害にはならない。
「どうか…、再戦…してください…、お願いします…!」
 ようやく真っ直ぐな敵意を取り戻し、ギラギラと獰猛に目を光らせ、鼻面に皺を寄せたドーベルマンが唸る。
「いい迷惑だけど、いいよ」
 あくまでも軽く応じるその声とは裏腹に、リョウヘイは鼻先をツンと上げ、見下すような笑みを浮かべ、挑発的な仕草でタケルを瞳に映した。



数分後。三人の姿は相撲部の道場前にあった。
「今日は部活お休みでよかったね〜。皆の前で恥をかかなくて済むじゃない」
「あんっ!?バッカ!お前…、ば、バッカ!恥とかそういうのかかなくてラッキーとかそういうのお前の方だろうが!」
 コーギーのソフトな挑発に全力で引っかかるドーベルマン。想定していなかった即興の返しなのでセリフがいまひとつ。どこまでもアドリブがダメな男、賀屋タケル…。
 が、対決前からこれではいけないと気を取り直したタケルは、コホンと咳払いをしてから、入り口サッシ戸の前で屈んでいるアビシニアンに視線を向ける。
 マネージャーは先ほどから、クリップを伸ばした針金を鍵穴に突っ込み、カチャカチャと弄っていた。その様子を見つめながら、少年は軽く眉根を寄せて困惑顔になる。
「つーか…、何で鍵借りて来ねえんだ?わざわざそんなコソドロみてえな真似して、面倒臭えな…」
「何処の馬の骨か判らんヤツが殴り込みに来たので鍵を貸してください。…などと先生の所に行ったなら話がこじれて面倒臭くなるだろうが。ただでさえ面倒臭い押し掛けがこうして来ているのに」
「感謝してよね?わざわざ面倒臭いの我慢して、早く帰りたいの我慢して、我慢に我慢を重ねて付き合ってあげてるんだから」
「こんなにも心の広い吾輩達を、心の底とそのどん底境遇から敬うと良い。遠慮はいらないぞ面倒臭い君」
 言い返しにいちいちムカムカするが、ぐっと堪えるタケル。もうすぐ実力でねじ伏せて黙らせてやるのだから、今は我慢だと自分に言い聞かせて。
「ま。情けなく落ち着きなくおたおたしないで待っていたまえ。吾輩の手にかかれば、どんな錠前も尻軽ビッチのまたぐらだ」
 品のよさそうな顔とは裏腹に、言う事とやる事の中味にさっぱり品が無いマネージャーは、カシャンと鍵を外して背を伸ばした。
「さて…。お待たせした。ようこそ客人」
 口調を改めて振り返ったマネージャーと、横目でタケルを見遣ったリョウヘイが、ニヤリと不敵に口の端を歪ませる。
『ヘコむ覚悟はいいかい?』
 異口同音。二人の声が計ったようにハモった。

 むしろそんな態度こそ望むところ。タケルも獰猛な笑みを浮かべてそれに応じる。
「そっちこそ、吐いた唾飲まねえようになっ…!」
 ここにきてやっとイメトレの台詞が言えたタケルであった。



 締め込んだマワシが腰に与える圧迫感が、身も心も引き締めさせる。
 土俵の上でドシッと力強く四股を踏んだタケルは、仕切り線の向こうで同じく四股を踏むリョウヘイを睨み付けた。
 垂れた胸、出っ張って弛んだ腹、どこもかしこも丸っこい体が、四股を踏むとタプンと揺れる。そんな所と、腰を低くした台形シルエットと色合いから一瞬プリンを想像して和みかけ、ハッとして雑念を追い払うタケル。
 リョウヘイはさほど上背がある訳でもなく、頭半分ほどタケルより背が低い。加えて、特別筋力がある訳でもない。
 おまけに身長に比して贅肉がつき過ぎだろうと思える脂肪過多のアンコ型で、タケル自身も全国大会当日は先輩の言葉を鵜呑みにし、運良く登って来られただけのただの肥満犬…、相手にならない格下だと侮っていた。
 実際に勝負し、そして敗れるまでは…。
 今のリョウヘイの顔を彩るのは、下校時にアビシニアンと話をしながら見せていた、明るく朗らかで愛嬌のある笑みとは全く違う。大会時にもタケルに向けていた、ひとを小馬鹿にしたような、ふてぶてしいほど不敵な余裕の笑み…。
(見てやがれチクショウ…!今度は吠え面かかしてやる!)
 気合十分…というよりやや入れ込み気味なタケルは、早くも鼻息が荒い。

 勝つビジョンは見えている。…というより、勝った後のビジョンを思い描いている。
 土俵に尻もちをつき、肩で息をしているデブコーギーを見下ろし、「まだまだだな」と鼻で笑ってやり、その上で「でも筋は良いぜ」と慰めてやる。
 そうしてメアドの交換をもちかけ、「おなしゃぁっす!」と飛び付いたリョウヘイに渡してやる…。
 この辺りはイメトレも十分に重ねた。あとは勝つのみである。
 仕切る両者を窺い、行司役を買って出たマネージャーが「時間です!」と声を張る。
「さっさと帰らないと襦袢三世の再放送に間に合わなくなるので、待ったなしでな」
「何だその理由!?」
 大事な再戦をテレビ番組…しかも再放送以下に扱われて目を剥くタケル。しかし集中しろと自分に言い聞かせ、意識を眼前のリョウヘイに戻す。
 蹲踞するコーギーは、やはり大会時と変わらないように見えた。
 全国から今日までの短い期間内でも日々戦力アップを図り、筋肉量だけで体重が5キロ増えて逞しさが増したタケルに対し、リョウヘイの弛んだ肥満体は、引き締まったようにも丈が伸びたようにも思えない。体付きは寸分違わずあの時のまま…。
 全国大会の時点ですらパワー、リーチ、ウエイト、加えてスピードまで、全て自分が勝っている。テクニックにも差は無い。…そのはずだった。
(…なのに、何で俺は負けたんだ?)
 タケルにはそこが判らない。
 何も、全国で負ける事を想定していなかった訳ではない。一勝もできず敗れる事もあるだろうと、漠然とではあっても考えていた。
 だが、大舞台に挑む前にタケルが思い描いていた、全国レベルの強者を前にして喫する敗北は、力の差を見せつけられて、あるいは得意手を破られての、判り易い、納得のいく負け様だった。
 なのに、リョウヘイと立ち合ったあの一番での敗北は、思い描いていた負け様と大いに異なっていた。
(こうやってまた向き合ってもまだ判らねえ…。負ける気が全然しねえ…。何で俺は、あの時コイツに負けたんだ?)
 だから納得できず、あの時の敗因が何だったのか知りたくて、リョウヘイと自分の本当の力の差を確かめたくて、こうして再戦に臨んでいる。
(本当に強いのは俺の方だ…!俺のはずだ…!それを今日、この土俵で証明してやる!)
「見合って見合ってぇーっ!」
 半身に構えて腰を引き、腕を伸ばし、格好は決まっている行司役のアビシニアンだが、腕には何も握っていない。しかしエア軍配は返っている。
 構えるリョウヘイの視線はタケルの目に定まっているが、捉えているのは全体像。
 口と態度でそう思わせるほど相手を侮ってはいない。僅かな隙も見逃さないよう油断なく一挙手一投足に神経を配っており、大会当日よりさらに逞しく見える、鍛え込まれた鐵のような体を細やかに観察している。
 一方で、荒らげた息を吐き出すタケルは、合わせる呼吸の合間、リョウヘイの左足がじりっと僅かに外側へ位置を変えた事に気が付いた。
 足の位置がしっくり来なくて、立ち上がりに窮屈だからほんの少し横に動かしただけ。…そう見えなくもなかったが…。
(変化!)
 タケルの頭をその一語が埋める。刹那、
「はーっきよい!」
 呼吸十分、砂を蹴ったのは同時、アビシニアンの声はまだ吐き終えられていないが、二人の腰は既に上がっている。
 始動は五分だが、動きを読んだ分だけ自分が有利。…と踏んだタケルだったが、想定した左側面への変化は無く、意識を何も無い空間に引っ張られ、半端に踏み出したままリョウヘイとぶつかり合ってしまう。
(か、変わってねえ!?フェイント!?)
 あっさりと騙された格好のタケルは、変化への警戒のせいで立ち上がりの勢いが悪く、競り負けた。
(んふっ!引っかかった引っかかった!)
 低い姿勢から全力でぶち当たり、体格差を跳ね退けてタケルを後退させ、胸の内でほくそ笑むリョウヘイ。
 コーギーは最初から変化など考えていなかった。足を少し動かす事で仕掛けたのは、変化を警戒した相手の立ち合いに少しでも迷いが現れれば良いという程度の、ノーリスクローリターンのフェイント。期待し過ぎてもいけないが、自分が支払わねばならない物も何も無い。
 出鼻を挫かれたタケルは、体重と体格、膂力を生かして後退を僅かな物に留めるも、胸に頭をおっつけられ、やや左向きになって甘くなった右腋へ左腕をねじ込まれてしまう。
 さらにリョウヘイは右で差し手を取っており、苦し紛れに伸ばしたタケルの左腕は、そこに被さって上手を浅く取れただけ。
(んっふぅ〜!頂きましたぁ〜!)
 まんまと有利な格好で相手を捕まえ、鼻息を荒くして喜ぶリョウヘイ。正直に言えば少々拍子抜けだが、可愛いフェイントにこうまで見事に嵌って貰えるのはなかなか嬉しいし気持ちがいい。
 一方、タケルの顔からはサーっと血の気が引く。
 体勢不十分。圧倒的不利。おまけにその格好は、「あの時」の形と何か似ていた。
 確かに、筋力でも体格でもタケルが優る。ただし圧倒的に優っている訳ではない。姿勢一つでアドバンテージが簡単に失われ、勝負はリョウヘイ優勢で転がり出す。
 そこからリョウヘイが仕掛けるのは、深く割って低く決め、安定させた腰に乗せた上体をいっぱいに使い、腋の下に捻じ込んだ左腕で相手を崩し浮かす投げ。
「ふしゅっ!」
 胸に顔を押し付けたリョウヘイの鋭い呼気が、顎を浮かされているタケルの胸板をくすぐった。
 掬い投げ。
 超密着戦を得意とするリョウヘイが隠し持った武器、緩慢な動作と搦め手、寄り主体の相撲へ密やかに仕込まれた、コーギーの狼爪。
 リョウヘイが腰を入れて捻り伸ばした体と連動して、右の腋下にかけられた腕が持ち上がり、大きさで優るタケルの体が斜めに浮かされる。
(な、投げもあんのかコイツ!?って、うっ…!こ、堪えがっ…!)
 使う機会が無かったので大会でも披露しなかった投げ手だが、密着しての寄りと引き手以外にはろくに武器が無いと思い込んでいたタケルは、予想外に鋭く体を返されて狼狽する。
 しかし、稽古のみならず自主トレでも徹底的に鍛え込んだドーベルマンの足腰は、そう簡単には折れない。浮かせ気味に捻られた体に無理矢理下半身を追従させ、左足でどどどっと砂を踏み乱しながらも、危うい所で何とか残した。
(む?あれでも残せるのか…)
 アビシニアンの目が感心したように、ほんの少しだけ瞼を上げた。
 その瞳に映るのは、鍛え込んだ筋肉の隆起が見て取れる黒鉄のような背中と、臀部から太腿の裏側にかけてのライン…。その辺りは筋肉の浮き上がりによる陰影が濃くなり、大会当時より視覚的にも重みを増している。
 普通ならば、ああなったら結果は見えていた。当たり負けて体勢が崩れ、不利な形で組まれた上で、あの一投に耐えられる者はそう多くない。それにも拘わらず、ドーベルマンはあの不十分な体勢からでも掬い投げを堪え、まだ残す余力を見せている。
 かといって、リョウヘイがじゃれて加減している訳でもない。立ち合いからの一連の流れでタケルに不甲斐なさを感じたのだろう、元々手加減など考えていないリョウヘイは、速攻で勝負をかけてあっさり終わらせるつもりになっていた。逸る事も油断する事もまず無い慎重なリョウヘイが、決めるつもりで投げを打ち、仕留め損なうケースは稀である。
 大会当時のままなら、タケルは今の投げを堪えられなかったはず。この短期間で相当な鍛錬を積んだのだろうと察しは付いた。
(リョウヘイに勝つ為に…、か…。どうやら随分と肝を舐めたらしいな)
 全国から今日までの短い期間、タケルもまた遊んでいた訳ではないと確信しながら、堂に入った行司役のマネージャーが囃し立てる。
「のこーったのこった!のこーったのこったのこった!」
 タケルにとっては危機を囃されるような気分になる声だが、リョウヘイの耳にはまた違う響きをもって届く。
 まだ残しているぞ?しっかり仕留めろ。…そう、背を押してけしかけられるように感じる。
(んふっ!当然っ!)
 流れを握ったリョウヘイが余勢を駆り、掬い投げは堪えたものの、まだ体勢が整っていないタケルに腰を寄せる。
 これを嫌って遺憾ながら腰を引き、土俵を譲る出費に涙を呑んで、体勢を戻す猶予を得ようとするドーベルマン。
 だが、腰を低く決めたままやたらと安定しているコーギーは、組み合った上体をおっつけ気味のまま、ザザッと素早いすり足で、開いた傍から間合いを潰す。
 逃げる腰に寄る腰。追うリョウヘイの反応が良過ぎて、隙間は全く開かない。結果的に、二歩分も譲った土俵は払い損。単にタケルの背と俵が近くなっただけ…。
(は、反応が馬鹿に早えっ!ちょっと退いた分が時間稼ぎになるどころか…、一瞬で詰められる!?俺が脚や腰を引くのが判ってたみてえに!?)
 タケルが驚くのも当然。リョウヘイはスペースを譲られるや否や、間髪入れずにのしっと踏み込み、土俵を占拠して来る。動きに対応して動いているというより、息を合わせて一緒に動くかのように…。
 焦りから、今以上に体勢が崩れるのもかまわず反撃に転じようと右腕を伸ばすタケル。リョウヘイの背中越しにマワシを掴み、得意技に持ち込んでの逆転が狙いである。
 しかしそれは、敗北した前回の再現に等しい苦し紛れ。
 頼みの綱の右上手。それを取って得意の播磨投げ。追い詰められ、逆転の望みに縋るように伸ばした腕は、またも届きそうで届かない。タケルの手はマワシの数センチ手前で虚しく空をかき、肉付きのいいリョウヘイの背にべちんと当たる。
(な!?と、遠っ!?届くはず…!?)
 目測を誤ったかと焦るタケルだが、距離を測り違えたわけではない。相手の動きを察知したコーギーは直前で左肩を上げ、ドーベルマンの右腋をぐいっと押し上げてマワシから遠ざけ、反撃への一手を空振らせていた。
(狙いはやっぱり、得意なあの投げだろね…。当然、させてなんかや〜らないっ!)
 組み合ったまま得手もペースも握らせない、絶妙な守りと体勢維持。加えてタケルとは対照的に無駄撃ちを全くしないため、スタミナの余裕にも刻々と差がついてゆく。
 その余力差がいよいよ大きくなったここで、試合の流れを決定付ける大きな動きが生じた。
 得意な型にも力が入り易い体勢にも持ち込めず、どうにもやり難いその状態から、背中越しにマワシを狙った無理な反撃のせいで、ただでさえ体勢不十分なタケルの腰が半端に伸び、隙が生まれている。
 チャンスと見て取り、鼻上に小皺を寄せて獰猛に唇を捲り上げたコーギーが攻勢に出た。
 右の差し手をやや外向きに引き、被せられていたタケルの左上手を内から押しつつ、横へ振るリョウヘイ。
 逆転するためにも右上手を取ろうと腕に集中していたあまり、タケルは足への注意がおろそかになっていた。おまけに内から肘で押されて左上手を切られそうになり、慌てて踏み堪えようとしたら、チョンと出してあったリョウヘイの足に、左足がツンッと引っかかる。
「おうぁ!?」
 堪らず声を漏らしたタケルの体が、足を引っ掛けられたまま左に大きく傾いだ。
 ここから差し手を引かれて落とされたら堪った物ではない。リョウヘイの右足に引っかかった足を越えさせ、砂を踏み締めて腰を寄せ、左上手を力いっぱい引き付け、体重を浴びせるように体を密着させる。
 これならば引き落とされずに済む。が…。
(ま、まずいうえおっ!)
 胸中独白すら怪しくどもるタケル。
 しかしそれも無理のない事。何せ、凌ぎ切ったと思って改めて考えてみたら、今のお互いの体勢は極めて似ているのだから。
 全国でリョウヘイに敗北した、あの取り組み終盤の物に…。
 まるで詰め将棋。ペースを握れないまま翻弄され、攻めてはいなされ、防がれ、さらに相手の攻め手を凌いでいる内に、いつの間にやらリョウヘイお得意の型に自らはまりに行ってしまっている。
 腋の下に入ったリョウヘイの左腕が、タケルの腕を浮かせ、得意の右上手をあと少しのところで与えてくれない。
 おまけに腰を低く決めて安定したリョウヘイの腹が、タケルの前褌を埋めるようにムチッと押し付けられている。
 さらにはリョウヘイが喉元に頭を入れているおかげで、顎が下げられず、力が入れ難い。いかに馬力、体格、瞬発力で上回ろうと、肝心の体勢が不十分ならば多少の差など帳消しになる。これでは圧し比べでも勝ち目はない。
 全てにおいて自分が僅差で上回るか、物によっても五分程度と踏んでいたタケルは、ここまできてもまだ気付けなかった。
 相撲の巧さ…つまり取り口の巧みさにおいて、自分とリョウヘイには大きな差があるという事に。
 リョウヘイは元々大柄なわけでも、種族的に高いポテンシャルを秘めている訳でもない。身体性能で及ばない一歩を巧みさで埋める事で生き抜いてきた相撲取り…、いわば「土俵の匠」。
 タケルのような正統派の相撲取り、かつ身体能力に絶望的なまでの差がない猪武者相手の相撲はむしろやり慣れており、気心知れたお得意様のような物。圧倒的勝利こそないが、ペースさえ握って慎重に攻めれば、一歩の差で安定した勝利を得られる。
 逆に、得意な形になれば滅法強いが、アドリブに弱いタケルにとって、流れを柔軟に制するこの手の技巧派相撲取りは天敵に等しかった。
「んふっ…!」
 胸元と首下をくすぐるリョウヘイの吐息の中に、笑いが混じったように聞こえた次の瞬間、タケルは股間から下腹までをモソォっと撫で押される感触で歯を食い縛った。
「のこーったのこたっ!のこーったのこたっ!」
 一層熱を帯びた行司の囃しで勢いを得たように、リョウヘイががぶり寄る。
 あがこうにも、諸差しで巧みに腰をコントロールされ、あがき切れない。
むっちり柔らかい腹で股間を下から擦りあげるような独特の寄りは、大会でタケルが辛酸を飲まされた、あの寄り切りに繋がった物と同じ。
 非常にまずい。まずいはず。なのに…。
(な…、なんっ…!?)
 下っ腹で何かが疼き、変化が起こる。その変化で取り乱すタケル。
 マワシの中で、タケルの逸物がムクムクと大きくなってゆく。
 腰が浮き上がる。柔らかなコーギーの弛み腹で股間が擦られ、得も言われぬ刺激で遺憾にも男根が元気になり、あさましく快楽を求めて勃起する。
 丈夫な布地にミシッと成長を阻まれ、タケルの逸物が悲鳴を上げた。
 もっと、もっと快感を…!
(うるせえ黙れ!だま…りぇ…!)
 何故こんな時に妙な興奮をするのだと、内なる肉欲に抵抗し、歯を食い縛り堪えるタケルの足は、しかしがぶり寄りに競り負けて後退して行く。
 フッコフッコと弾んだコーギーの吐息が、汗の香りが、慣れているはずのドーベルマンの鼻をくすぐり、今に限って気を逸らす。
 おまけに諸差しを取るリョウヘイの手が、腰の挙動を制して右に左に揺する上に、吊り気味に力を加えて腰を浮かそうとするので、ギュ〜ッと持ち上げられたマワシが二枚目までずれ、股下に食い込み股間を圧迫。どんな動きをしても陰茎が擦られてしまう有様。
 柔らかな感触ながらも致命的な運動を繰り返す濁流に揉まれ、あれよあれよと土俵際。あと一歩という所で俵に足をかけて踏み止まったタケルだが、全身汗びっしょり、前袋の中は膨大な先走りでテロッテロの有様。どこまでも全国の再現といえる進退窮まった劣勢である。
 その土俵際で踏ん張るタケルをなぶるように、腰を一層低くし、下から腹で股間を擦り上げるリョウヘイ。
 憎たらしいはずのコーギーの体は、汗で湿ってもなおフカッと良い感触の毛並と、柔らかいモチッとした皮下脂肪の二重構造が秘めた抜群の好感触を発揮している。
 それに加えて巧みな腰使いと腹使いでがぶられると、腰だけでなく別の物まで宙に浮かされるような心地になり、こんなにも相手が憎たらしいのに、こんなにも危機的状況だと言うのに、こんなにも、こんなにも、気持ちが良くなって…。
「あ!あ!あぁっ!ま、待っ…!」
 タケルの短い尾がビビンッと、何かを代弁するように伸びる。
「んふーっ!待ったなし!待ったなし!」
 あと一押しで俵を越えるドーベルマンを、土俵際で腰を振り立て、執拗になぶるコーギー。
 その土俵際の攻防の真っただ中、リョウヘイの背後に回ったニヤケ面のアビシニアンが前屈みになり、下から窺うような目付きで「は〜っきよぃ」と囃す。
 その目が、ヒュウヒュウ喉を鳴らし、食い縛った牙の隙間からクフーッ、クフーッ、と息を漏らしているタケルへ残酷に問いかける。「今どんな気分?」と…。
 どこまでもアウェー。こうして精神攻撃に加わっているのだから、行司ですら実質中立ではない。今さらながらそれを実感するタケルの股間では遺憾にも我慢が決壊寸前。
 小憎らしいコーギーの、体全てを大きく揺すり立てて使う擦り上げ…。
 性的な刺激で敏感な雄を玩ぶ、密着面積がやたら大きくて深い執拗ながぶり…。
 ビクビクンッと震えるドーベルマン。反った背筋が小刻みに震え、短い尾がピコーンと屹立する。
「あ、あおほぉおほおほほぉっ!」
 限界突破。足より先に違う物が、剣が峰を乗り越えてしまった。
 どぷっと、前袋の中で溢れるタケルの精液。たっぷり汗を吸ったマワシには殆ど染みる事無く、お漏らしの如き様相で左右へ大量に毀れ出る。
 水風船が爆ぜたように一気にどっぱり漏れ出た濃厚な雄汁が、擦り上げるリョウヘイの腹をべたべたに汚し、マワシも股間も太腿も一緒くたに染める。
 腰を合わせる両者の間で白濁した液体がバタバタと音を立てて足元に滴り、砂も俵も関係なく、土俵際の一角に大きな染みが作られた。
「は、はひっ…!はひひっ…!ふ…ふわ…へ…!」
 合わない歯の根。ガクガク痙攣する腰。カタカタ笑う膝。それでもタケルは、舌が横にこぼれた半開きの口で喘ぎながら、まだ折れずにその腕を伸ばす。
「ふ…、ふわ…へ…!フワ…ヘェ…!」

 ぶふぅ〜っと息を吐いたリョウヘイは、腰が伸びて背が反った姿勢からなおも右腕を伸ばそうとしているタケルの挙動を当然察知していた。
 勝負が決するまで…否、決しても気を抜くべきではない。リョウヘイはタケルのマワシを差し手で軽く引きつつ、ぐいっと身を捻って、取られる前に腰を引いた。
「ウ…ウワ…ウワテェ…!」
 力を振り絞ってタケルが伸ばす、震える右手…。溺れた者が縋る何かを求めて伸ばしたようなその指先から、クイッと尻を斜めに捻ったリョウヘイのマワシが10センチほど遠のき、太い指は空気を掻いて肉付きの良い薄茶色の背中に当たる。
「ウワテ…マワッシ…!」
 それは、短いようで絶望的な距離…。
「はいご苦労さんっ」
 最後の反撃も悠々と潰してにんまり笑ったリョウヘイが、ノシッと胸で圧すようにしてタケルを土俵外へ追い出す。
 俵を越えてたたらを踏み、腰が砕けてべたんと蛇の目に尻持ちをついたタケルは、舌を出してゼェハァ喘ぎながら勝者を見上げた。
 イメージしていた物とは、まるっきり逆の構図…。同時にそれは、全国の土俵の再現といえる屈辱的位置関係…。
「っぷふぅ〜…!」
 腰に手を当てて背筋を伸ばし、勝利者の目線からドーベルマンを睥睨し、コーギーは笑う。
 見上げるタケルは、刹那、その笑みに見入ってしまった。
 その表情は、記憶に焼き付いていた物とは違っていた。全国の土俵で照明を背にしていたコーギーの、色濃い影が乗った顔とは…。
 目を煌めかせ、口の両端と膨れた頬をきゅっと上げているリョウヘイは、すっきりしたように清々しい、満足げで、あどけない笑顔で…。
 だが、それも一瞬の事だった。
 コーギーはハッとしたように目を大きくすると、すぐさまあのいやぁ〜な笑いで顔を歪ませる。
「で、満足した?ドーデブマン君」
 その一言で、一時きょとんと相手を見上げていたタケルは、熱湯につけた水銀温度計のように、即座に脳天まで血を昇らせる。
 お前もデブだろ!ってかむしろお前の方がデブだろ!
 そうは思ったが、そんな敗者の弁を口にはできず、タケルは悔しさに歯を噛み締めながら項垂れる。
 そんな両者を交互に見遣って、アビシニアンは胸の内で呟く。
(実際には、決して弱い選手ではない。身体能力で軒並みリョウを上回っているうえに、自分より大柄な相手にまで播磨が使える剛の相撲取りだ。もしもペースを握られたら、自分の得意な型に持ち込まれてしまったら、…そうなったら今のリョウでもマズい相手なのだが…)
 見た目ほど大差の勝利ではない。実質的には小さな積み重ねで差をつけて上回った、順当ではあるが差がない勝利だった。
 もしも体勢充分で右上手を与えてしまえば、これほど安定した流れには引き摺り込めない。さらに言えば、強烈極まりない技を得意の一手に持つ相撲取りなのである。下手にペースを握らせたら苦戦は必至…。
 しかし勝負は勝負。結果は結果。勝ち名乗りは…。
「羊山リョウヘイ!」
 アビシニアンの声に続き、ドーベルマンを見下ろすコーギーは、「んふっ…!」と得意げに鼻を鳴らした。



 とぼとぼと、校門を抜けて立ち去るドーベルマン。
 耳をぺったり寝せたタケルは涙目である。
 身体は汗臭いし種汁臭い。特に精液は股ぐらから内腿にまでべっとり付着し、被毛に染み込んで生乾きになり、得も言われぬ不快感。
 おまけに、尻には砂がべったりついたままパンツを穿いたので、歩く振動と下着との擦れでパラパラとズボンの中で落ち、靴に入って気持ち悪い。
 こんなはずではなかった。
 脳内シミュレートしていた自分が勝利した取り組み後のシャワータイムでは、肥えた体を少し恥ずかしげに丸めて前屈みになったリョウヘイと健闘を称え合って体を流し合い、一気に親しくなって、もしかしたらちょっとしたスキンシップなども、と…。
 だが、現実は甘くない。何より勝てていない。それでもシャワーは使わせて貰えると思っていたのだが…、
「え?押し掛けてきて惨めに負けて僕のお腹に種付けまでしてさらにシャワー借りて帰るの!?そ・れ・は・ちょっと、だいぶ、かなり、凄く図々しくない!?」
 と、リョウヘイに拒否されたのである。
 タケルからすれば敗北自体が既に想定外だが、シャワーを借りられなかったのは想定外どころの騒ぎではない。使用を拒否されてそのまま追い返されるなど、一体どうしたら予想できるだろうか?
 さらに、汚れた体を新品の余所行き用黒ジャージで覆い隠す羽目になり、泣きたい気分になったタケルが、去り際に投げかけられたのは、
「あ〜あ…、もうちょっと強かったら、メアド交換してあげても良かったんだけどな〜」
 そんな、聞こえよがしにため息混じりの、土俵際での腹ノシッ以上に効果的なダメ押しの一発…。
 思い出して泣き出しそうになるタケル。
 歯を食いしばって力みまくったドーベルマンの全身が、小刻みにプルプルと震え出す。
「ぢぐぢょぉ…!ぢぐぢょっ…!えっふ…!み、見でろよっ…!次っ…!次はっ…!あ、あのブタコーギー…!ギャフンと言わせて…、うぇっ…!えぐぅぅぅううっ!」
 腕で目をグシグシ拭うドーベルマンは、さらに稽古を積んでの再戦を心に誓い、重い足を引き摺って帰ってゆく…。


 一方その頃、道場内の更衣室では…。
「ちょっとやり過ぎちゃったかなぁ…?」
 コーギーは汗やら他の液体やらで重くなったマワシを解きながら、そう呟いていた。反省しているように耳を倒して、眉根を寄せた困り顔になって…。
 両手で張ってブランとぶら下げてみると、自分とタケルの汗…プラス種汁で表面をべったり化粧されたマワシは、普段の稽古後にも増してずっしり重い上に、かなり臭った。
「何てゆーかねぇ…、何なのこの量!?溜めてたの!?どんだけ備蓄!?いくらなんでも出し過ぎだから!」
「今日最もリョウを驚かせたのがソコとは…。彼も浮かばれないな」
 お亡くなりになったかのような物言いでタケルを語る、縁起でもないアビシニアン。
「…ともあれ、「やり過ぎ」とは?」
 何か思う所があるのか、密やかに視線を向けて表情を窺うアビシニアンの言葉に、汚れまくったマワシを見つめているコーギーは「む〜…」と難しい顔で唸った。
 その、難題を前にした子犬のような顔には、先ほどタケルに見せたような憎々しさは微塵もなく、むしろ同じ年頃の少年達より幼く、あどけなく見えてしまう。
「…実際の所はさ、賀屋君そんなに弱くないんだし、大会の時に輪をかけて力も強くなってたし、相当稽古積んで来たんだろうし〜…。ちょっとぐらい「すごーい!」とか、「つよーい!」とか、言ってあげても良かったかも…?って…」
(あの負け様を晒させた上でか…?それはそれでナチュラルにディープにハードに傷つくだろうな…)
 幼馴染が無自覚に思いつく行為のSさには、自分の意図的なサドっ気はまだまだ敵わないと心底感じ入るアビシニアン。
「わざわざ遊びに来てくれた事も考えると…、もうちょっとソフトに苛めるべきだった?一番だけで追い返したのはまずかったかな?ヘコんじゃったかなあれ?」
 そんなリョウヘイの表情と声音から、マネージャーは感じ取っていた。本当はタケルの事をそこそこ気に入ったのだという事を。
 実際のところ、口で罵って馬鹿にしたほどには弱くないと、アビシニアンも認めている。
 あのドーベルマンもまた、まぐれで全国に辿り着いた訳ではない。一角の相撲取りとして敬意を払うに値する力量は持っている。
 …もっとも、半端に察しが良くて搦め手に引っかかりやすい突撃単純思考な脳みそと、スポンジの固い面のようなメンタルには少々難有りで、体の腰はそこそこ重いが心の腰は浮ついている。化けるにはまずあの辺りから何とかしなければならない輩だとは思うが…。
「…もう…、来ないよね…?」
 楽し過ぎてついついやり過ぎてしまった…。そう後悔して気分が沈んでいるコーギーの言葉に、アビシニアンは「何の」と訳知り顔で応じる。
「「覚えてろ!」と、ベタ過ぎて失笑物の捨て台詞を吐いて行ったではないか?それに、この程度で折れるタマなら、そもそも再戦を挑みに来たりなどしないだろう」
 そう。アビシニアンはその点において、あのドーベルマンを高く買っていいと判断した。
 今は半端な部分が目立つタケルだが、恥を忍んで再戦を乞いに来る気概と、激しい闘争心と、勝負と強さへのハングリーさはなかなかのもの。
(これは「終わり」ではない。これがきっと「始まり」なのだ…)
 アビシニアンは考える。彼ならばいつか、リョウヘイにとっても取り組みが楽しい相手となってくれるかもしれない、と…。
「一理あるねぇ…」
 少し安心したようにニマッと笑ったリョウヘイは、「それにしても…」と視線をやや上向きにし、少し不思議がっているような、そして驚いているような表情になる。
「本当に居たねぇ。そして来たねぇ。「都合のいいヤツ」…」
 アビシニアンが「吾輩も驚いている」と頷いたが、その澄ました顔には驚きの色など全く見られない。むしろ面白がっているようにヒゲがヒクヒク動いていた。
「…昨日の今日でこれだ。まさに「都合のいいヤツ」と言えるな」
「まだ24時間経ってないもんね?」
「驚きの早さと都合の良さだ。盗聴を疑いたくなる」
 そんな、事情を知らない第三者が聞いても中身がさっぱり判らない会話で、幼馴染と楽しげに笑みを交わしたコーギーは、「あ〜あ」と全裸のまま伸びをした。
 ソフトタッチな柔らかボディは、マワシを締めていなければユーモラスな肥満体。そこには地元屈指の相撲取り「ヒツジヤマリョウヘイ」はおらず、すっかりリラックスしているムクムクむっちりなコーギー少年が居るだけ。
 その弛んだ出っ腹の下…、むっちり肉がついた股間で、ぶるんっと男根が揺れる。
 本来仮性包茎のマラは、先ほどの一番のせいで完全に勃起し、すっかり皮が剥けた状態になっていた。血色の良い鈴口の先端では、昂ぶりで漏れた透明な液体が球を作っている。
 見た目ほど大差でなかったのは、取り組みの結果と同様…。なんだかんだでリョウヘイもまた、タケルとの取り組みで興奮させられてしまっていた。
「すっかり滾っちゃった…。シャワーしながら抜いとこっと」
「ごゆっくり」
 肩を竦めたアビシニアンに対し、コーギーは子供がむくれるように、ぷーっと頬を膨らませて見せる。
「えー?それだけ?選手を労うのもマネージャーの立派な仕事じゃないのー?」
 ブーブー不満げなリョウヘイに、くっくっと肩を震わせて笑ったマネージャーは、上着のボタンに手をかけながら応じる。
「そんな事なら、意地悪などしないでシャワーを貸してやれば良かったではないか?」
 それを聞いたリョウヘイは微苦笑を浮かべ、
「ダーメッ!物には順序!」
 と、悪戯っぽくペロッと舌を出した。



 そして、日は流れて週末…。


 秋晴れの空は、目に痛いほど青かった。
 今日も朝から稽古に励んだ、日曜の午後一時。戸口を潜り出たドーベルマンは、道場内の明るさに慣れた目を細め、分厚い手で庇を作って光を遮り、空を見上げる。
 高い、高い空。浮かんだ雲はいやに近く見えて、指先が届きそうなのに遠く…。遠く…。
 道場を背に、校庭を前にして立ち止まり、厳しい顔つきで蒼空を見上げているタケルを、稽古場を出た仲間達が歩き越す。
「キッツかったなぁ今日も」
「あー、腹減ったー…」
「どっか寄って食ってこうぜ?」
「午後暇?」
「カラオケ行くか?」
 雑談しながら歩む仲間達は、立ち止まったままのタケルを振り返って声を掛ける。
「どしたタケル?」
「飯と、あとカラオケとか行かねえ?」
 名を呼ばれて、タケルはやっと周りに気付いたように顔を下げ、それから小さく頭を振った。
「悪い。俺はいい…。また今度な」
 そしてタケルは歩き出す。きょとんとしている仲間達の間を、厳しい顔のまま足早に抜けて…。
「…何かさ、最近アイツ付き合い悪くね?」
 部員のひとりがそう言うと、同感だと、顔を顰めて数人が頷いた。
「前々から付き合いはあんまりよくねーヤツだったけど…」
「先輩方が引退してから、なおさら…」
「全国行ってからか?」
「あ、そうだな」
 そこでひとりがムッとしたように目尻を吊り上げた。
「全国経験者は、オレらと違いますよ…ってか?」
 その一言で色めく少年達。
「何それ?」
「マジかよ」
「調子こいてんのか…?」
「一回戦ボーイだったくせに」
 たった一言がきかっけになって、遊びに誘っても応じなくなったタケルの態度に対して数名が文句を言い始めると、それがそのまま一同の話題になってしまった。
 そうして少年達が歩き出し、他の部員達も帰り、道場前は静かになり…、しばらくして、顧問がカシャンと鍵をかけた。
 無人の道場は秋空の下で佇み、校庭を駆ける少年達や、転がる白球、練習に疲れて帰ってゆく生徒達を見守り、やがてその身に浴びる陽の色が変わり始めると、ほんのり紅くなって…。


 ゼッゼッゼッと、喉を不快に擦る息を吐き出し、汗だくになりながら拭いもせず、ドーベルマンは坂を駆け昇る。
 両側を石垣で補強され、土色に濁った水が流れる、趣のある古い運河。川幅が二十メートルも無いそこは、大雨の際には周辺の支流から雨水の逃げ道にされて、水位が一気に上がるため、河原が広く取られている。
 平時は川面から1メートルほど顔を覗かせる石垣は、雨が降れば半分沈み、大雨になれば水位が河原の縁まで登って来る。
 洪水に備えたその両側の土手も、川の平時の大きさに見合わないほど高く、太い。高さは河原から見て二階建て民家の屋根の軒ほど。タケルはたった独りで、その急な斜面を幾度も幾度も往復していた。
 ドーベルマンに言葉は無い。ただただ荒い息だけが、苦しげな半開きにされた口から零れ出る。
 勾配に足裏を合わせ、足首を曲げたまま、強制的な負荷をかけた柔軟をアキレス腱とふくらはぎに強いる、速く駆け上がる事ではなく、徹底的に足腰を苛め抜く事を目的とした駆け昇り運動…。
 あれから帰宅し、遅めの昼食を取ったタケルはすぐさまここまでジョギングして来て、この運動と柔軟、スクワットと腕立てを延々と繰り返していた。
 疲労困憊の体は重く、太腿はパンパンになり、鈍く疼く筋肉は感覚が狂って、思った動作を正確には実行してくれない。
 それでもタケルは止めない。
 汗だくになってジャージの上を脱ぎ捨て、ランニングシャツとズボンだけになって、限界まで繰り返して…。
「…おい。あれ…」
 運河沿いの土手下を歩いていた少年達は、ひとりが声を発すると、揃ってその視線を追い、立ち止まった。
「タケル?」
「賀屋先輩…」
 土手の上まで駆け昇ったドーベルマンが、前屈みになって膝に手をつき、息を整えている。
 かと思えば、踵を返して土手の向こうに消え、またしばらくしてから駆け昇って姿を見せる。
 延々と、黙々と、幾度も繰り返される坂上がり。
 タケルの姿を見つめていた少年達は、やがて誰から言い出すでもなく、そっと足を忍ばせて民家の塀に隠れた。
 付き合いが悪い…。調子に乗っている…。いい気になっている…。
 自分達が散々そんな陰口を叩いて、憂さ晴らし半分に遊び歩いていたその間も、当の本人はずっとああして自主トレしていたのだろうか?
 恥ずかしくて、拳を握り込む。
 顔向けできなくて、隠れてしまう。
 調子に乗るどころか、見えない所でひたすら自分をいじめ続ける。そんな、自分達よりも強い男のストイックな姿を覗き見た事で、反感は罪悪感に変わり、少年達は己を省みた。
「…走って帰んぞ…」
「ああ…」
 かくして、少年達はタケルが知らない所で反感を抱き、タケルが知らないまま見直し、己を恥じて性根を改める。
 同じく、少し離れた橋の上では、柴犬にしては随分大柄で肥り肉な少年と、骨太なカモシカが、並んでタケルの姿を眺めていた。
「…安心した」
「ん?」
 ポツリと漏らした柴犬を、カモシカが見遣る。
「俺を負かして全国に行ったヤツだ。一回戦負けで気が折れても、逆にあの程度で天狗になられても困る」
 柴犬は顎下に手を添え、「まぁ、あれだ。敗者の弁というヤツで…、ちと気恥ずかしいがよぉ…」と、照れ隠しなのか、乱暴にゴシゴシ擦りながら口を尖らせた。
「アイツはよぉ、大したヤツだ…!」
 そして柴犬はちらりとカモシカを見遣る。が、ドーベルマンを見つめるその横顔に、何処か沈んだ表情を見て取り、鼻からため息を漏らした。
 引退するまでマネージャーを務めたカモシカは、自分があの一戦の直前で吹き込んだ不用意な言葉を、ずっと悔やんでいた。
 あの言葉でタケルが油断してしまった…。
 だからタケルは負けてしまったのだ…。
 きっとタケルは自分を恨んでいる…。
 責められた訳ではないのだが、カモシカはそう思い込んでいる。
 そんな負い目を感じているから、後輩の姿を正視するのが辛い。
 そっと目を逸らしたカモシカの背を、柴犬は分厚い手でバシッと叩いた。
 本人にその気は無くても、少々乱暴な一発はカモシカを前のめりにさせ、橋の欄干に胸をぶつけさせた。
 軽くむせ、恨みがましい目を向けてきたカモシカに、柴犬はにんまり太い笑みを向ける。
「シャンとせいっ!恨んで腐ってるようなヤツが、ああまで必死に打ち込んだりするかいっ!どんなアドバイスを受けようと、何を言われて何を思おうと、勝敗の結果には土俵に立った本人が全責任を負う。アドバイスのおかげで勝てたと感謝はしても、余計な事を言われて負けたと恨むのは筋違い。…アイツにゃそれが判っとる!」
 促されて視線をドーベルマンに向けたカモシカは、「君の後輩は立派だぞ」と、柴犬に穏やかな声をかけられて、不覚にも泣きそうになった。
「ただし!ウチの後輩共も精鋭揃いだ!易々と全国行きの切符を譲りゃあせんからな!」
「…どうかな…」
 カモシカは小さく鼻を啜って、自分より少し背が高い柴犬に不敵な笑みを向ける。
「ウチの後輩は、もっと精鋭揃いだ…!」
 フン、と鼻を鳴らした柴犬は、そう来なくてはと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
「引退はしたが、進学までに体が鈍るようじゃあ困るもんで、卒業まではちょくちょく部に顔を出す事にした。…賀屋君にも言っといてくれ。出稽古なら歓迎するから、いつでも遊びに来んさい…、と」
「ああ。伝えておく…」
 斜陽が照らす二つの影は、やがて離れ、橋の両側へ去った。
 そうして見られていた事も、見ていた者が去った事も知らないまま、ドーベルマンは延々と自主トレーニングを続け…。


「ハッ!ハッ!ハッ!ガフッ!ハッ…、ハッ…!」
 いよいよスタミナが切れたタケルは、荒い息で肩を上下させながらのろのろと土手を昇り切ると、どっと膝をついて四つん這いになった。
 鼻先からポタポタ落ちる汗が、乾いた色の土に染み込んで行く。
 しばらくその姿勢で息を整えたタケルは、川の方を向く格好で体を捻り、土手の縁に尻を据えて、斜面に足を投げ出した。
 黒い被毛はすっかり汗を擦って重く深く黒味を濃くし、黒鉄のような光沢を帯びて斜陽に輝く。シャツにもじっとり汗が染み、逞しい体に貼り付いてラインを浮かせている。
(次は…、次こそは…)
 夕陽を睨むドーベルマンの瞳には、二度の敗北を経ても消えない闘志。
(次こそ絶対に勝つ!)
 赤々と燃える空に重ねるのは、憎々しく肉々しいコーギーの余裕顔。
 タケルはまだ、諦めていない。
(ギャフンと言わしてやって!見返してやって!それで…、それでメアドを交換してやって…)
 …タケルはまだ…、諦めていない…。
 思い出したらまたカーッと体が熱を帯びて気が昂ぶり、一層荒くなってしまった息をハカハカと吐き出しながら、ドーベルマンは腕を上げ、手の甲でグイッと顎下を拭い、
「…ん?」
 下ろしかけた手の先に何かがある事に気付き、動きを止めて視線を脇に向けた。
 土手一面に茂る葉先が尖った草の緑に、チョンと小さく混じった異色。タケルは一体何だろうかと目を細め、
「花…、か?」
 押し潰してしまう寸前で止めた分厚い手の先には、小さな白と青。
 草の葉の中にちらついたそれは、まだ開花していない小さな蕾から覗く、花びらの色だった。
 何となしにドーベルマンは見つめる。背の高い草の中、か細い茎の先端に乗った、緑のがくに覆われた小さな蕾を。
 片方は白…より正確には暖かなアイボリー。もう片方はほんのりと緑が滲む、爽やかな薄いブルー。
 タケルは顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回した。しかし、緑一色の中で目についた花と同じような物は、見えている範囲には一つも無く、不思議そうに太い首を傾げる。
(どっか離れたトコから種でも飛んで来て、コイツだけ離れて生えたのか?)
 ぼんやりとそんな事を考えながら、タケルは危うく潰してしまいそうになった蕾二つを避け、ゆっくりと草の中に手をついた。
 よく見れば、乾いた明るい色の土に根を下ろす花は、茎も葉も色が悪く黒ずんでおり、萎れ気味で生気が無い。
 土に水気が無いからなのか、それとも滋養が足りないのか、はたまた周囲の草が高くて日当たりが充分ではないからなのか…、詳しくないタケルには、そのどれが原因とも判らなかった。
 ふと、タケルは運河の流れに目を遣る。
 水はあそこにたっぷりあるのに、動けない花からは水面が遠く…。遠く…。
「何だってこんなトコに来ちまったんだ?ここで咲いたって、誰にも見られねえだろうに…」
 そう呟いたドーベルマンへ、「それはお互い様だ」とでも言い返すように、双子花が微かに揺れた。
 そうして、タケルはまた夕陽に目を遣る。
 体を休める逞しい黒い影と、開花を待つ小さな二つの蕾は、陽が落ちるまで、一緒に夕陽を浴びていた。




【次章に続く】
本作は『とらいぶ!』びぃさんからの頂き物です。
よろしければ拍手レスやtwitter、コメント等で、御感想をお寄せ下さい。(の∀の)

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コメント

いやぁ、今回も凄く良かったです!
まさかリベンジでエロに走るとはw
タケル君が勝つ日はいつ来るのだろうか?!
それが楽しみです!
  1. 2013/06/02(日) 16:19:38 |
  2. リヒター
  3. [ 編集]

射しても、ウワテを欲しがるタケル君ナイスガッツw!

どちらかというと、勝ちの昂ぶりで滾っていたリョウヘイ君だけども、しっかり勃起して露を漏らしていたみたいなので、うまくシモを攻めれていればタケル君にもまだチャンスはあったのかな

今後が楽しみです
  1. 2013/06/02(日) 21:23:13 |
  2. 村の衆
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リヒターさん>
Beさんがみずほエロを書いてくださるというミラクル!これぞまさにギフトですようw

>ナイスガッツw!
ウワテで仕留めるか…シモで競うか…難しい勝負どころだし!!
  1. 2013/06/05(水) 00:49:20 |
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